「自由に好きなだけ欲しい物が買える生活っていいなぁ」
「お金を気にせず、何でもホイホイ買える人が羨ましい」
「お金がない生活って窮屈でヤダ」
「お金がなくて欲しい物を我慢している」
あなたはこんなふうに感じたことはありませんか?
今日は「無制限にお金を使いまくること=幸せ」だと思っていた私が「自由に好きなだけ欲しい物を買う生活」と「制限の中で必要な物を考えて買う生活」の両方を経験して得た予想外の結果をレポートします。
好きな物を好きなだけ買う生活は幸せ?
“ザ・幸せライフ”を満喫しよう!
「少しでいいから、我慢せずに好きな物を好きなだけ買う生活をしてみたいな」
「好きなだけ好きなものを買いまくったら、この何となく満たされない感覚は消えるんじゃないか?」
こう考えた私は、もっと幸福感を感じられる日々を送るために「自由に好きなだけ欲しいものを買う生活」を試してみることにしました。
もちろん「使いすぎたらお金がなくなるんじゃないか」という不安がなかったワケではありません。でも、それ以上に「節約して我慢して…」という生き方が、何だか満たされない日々の元凶のような気がしたので、思い切ってやってみることにしたのです。
そこからはとにかく、欲しい物があればスマホでポチッとワンクリックで買う。
我慢せずに、欲しいと思えば買う。
そんな日々を開始しました。
「これぞ、思い描いた幸せライフー!」
正直、最初はそう感じてました。
あれ?思ってたより満たされない
だけどだんだん「あれ?」と感じることが増えてきました。
欲しい物を買えた時は確かに嬉しいし、テンションも上がる。
だけど、その高揚感や満足感は思ったよりも持続しないことに気づき始めたのです。
その上、あんまり考えずに衝動に駆られて購入した物は、実際に使いこなすことが難しい物ばかりでした。
「あれ?この服どこで着るんだろう??着ていく場所がない…」
「このバック思ってたより重たいし、物が入らなくて不便だな」
「あれ?なんか思ってたのと違う。使えないな」
と、こんな感じで。
にも関わらず、次々と湧いてくる欲求も、それに反応して買ってしまうことも止められず、家の中にはどんどん使えない物が増えていきました。
「あー、失敗したなぁ」
「どうして使いもしない物に数十万円も使ってしまったんだろう」
「こんな生活を続けてたら、お金もなくなってしまうかも…」
使わないけどももったいなくて捨てるに捨てられない物達を見る度に、チクリと胸の痛みを感じるようになっていきました。
こんなふうに好きなだけ好きな物を買う生活から得たのは、後悔・罪悪感・不安という予想外の感情でした。
誘われた”断捨離コミュニティ”
「このままじゃいけない…」とは思いつつも、買い物スタイルを変えることが億劫で行動を変えられなかったある日。
友人から断捨離コミュニティに誘われ、入ってみることにしました。
日々、捨てた物をSNSでシェアする環境に身を置くことになった私は、とりあえず周りと同じように物を捨て始めました。
- もう使っていないけど捨てるのに抵抗がある物
- 「いつか使うかも」と思ってとってるものの、一向に使う気配がない物
- 要らないけど「人様からもらった物を無下にできない」という理由で捨てられずにいる物
- 買ったのに使えず箪笥の肥やしになっている物
…etc
こういった物を捨てました。
「一生懸命働いて稼いだお金で、こんなにも多くの使わない物を買ってしまい、捨てることになってしまった」という事実を直視する作業は、のたうち回るくらい苦しいことでした。
苦しみの先に待っていたもの
けれども、その苦しみの先に待っていたのは、意外にも爽快感と心地よさでした。
物がなくなり部屋がスッキリすると、心も頭もシャキッと整うような感覚を覚えるようになりました。
加えて、買ったのに使わない物が減ったことで、罪悪感や後悔を刺激されることが減り気持ちも軽くなりました。
小さい頃から物が少ないスッキリとした綺麗な家で過ごしたことがなかったので、それは初めて味わう気持ち良さでした。
180℃変わる価値観
正直それまでも、
「物を捨てると頭がスッキリしますよ」とか、
「心の乱れと空間の乱れは繋がっていますよ」とか、
「物と記憶は深く結びついているので、物を捨てることで新たなことに取り組みやすくなりますよ」とか、
「物を捨てるのは大事ですよ」といった類いの話は、何度も聞いたことがありました。
だけどだからといって、行動に移すほど心が動かされることは一度もありませんでした。
むしろ正直、
「ずっと物に溢れた家に住んできたけど、ちゃんと一流大学出て一流企業で働けてるけど、物捨てなんて人生に必要?」
ずっとこう思ってました。
それどころか、”偉人=ゴミ屋敷に住んでいる”というイメージを持っていたので、物を捨てることなんかに時間を費やすことよりも、自分のやるべきことに時間を費やすべきだと感じていました。
だけどいざ、物が溢れていない心地よい環境を体験すると考え方が180℃変わりました。
物を捨てて家をスッキリと気持ちの良い状態に保つことは、心身ともに快適な日々を過ごすためにとても重要なことだと感じるようになったのです。
断捨離がもたらした3つの新習慣
「家をスッキリと気持ちよく保ち続けたい」
この新たに生まれた強い想いは、これまでの自分では考えられないような3つの習慣(ルーティーン)を生み出しました。
それは
- 不要な物を捨てる習慣(溜め込まない)
- 掃除と片付けの習慣(キレイを保つ)
- 必要な物だけ買う習慣(不必要な物は入れない)
この3つです。
誰から強制された訳でもなく、自らの意志で「やりたい!」と思ったこの3つの習慣は、1年以上経った今でも継続することができていて、スッキリとキレイな家を保ち続けることに貢献してくれています。
「制限の中で必要な物を考えて買う生活」の実体は?
それだけでなく「必要な物だけ買う習慣」を身につけられたことで、「変えた方がいいけど変えるのが億劫だ」と感じていた「衝動に任せて買う習慣」も、自然となくなっていきました。
そして、そのことは経済的にも気持ち的にも望ましい変化をもたらしました。
自然と減った支出
まず経済的な意味においては、頑張って節約していないのに自然と月々に使うお金が1/10程度になりました。
以前は、何に使ったのかも覚えてないまま月々に30~50万円程度クレジットカードで買い物をしていたのが、今では3~5万円程度に収まるようになりました。
加えて、現金も以前はどれだけ使っていたのか把握をしていなかったのですが、今では月初に一定額を下して、その範囲内で生活をするスタイルに変えました。
結局どれだけ頑張って「必要な物だけを買おう」と意気込んでも、制限がないと「必要だ」と思える理由を作り出して、買ってしまうことに気づいたからです。
窮屈ではなかった制限
正直、始めは「制限は窮屈に違いない」と思っていたのですが、実際はそうでもありませんでした。
むしろ、制限があることで「自分にとって本当に優先すべき物」を考える機会が増え、自分にとっての優先順位や大事なことが少しずつ見えてくるようになりました。
それはまるで、小さい頃に誕生日プレゼントに何が欲しいかを一生懸命考えていた時の感覚や、予算内でどんな遠足のお菓子を買うかを楽しみながら迷っている感覚に近いものでした。
そして、自分にとって大切な物が分かるようになってくると徐々に、買ったけど使わない胸をチクリと刺す物が減り、自分にとって必要な大切な物が増えていきました。
その結果、以前には得られなかった”持続的な満足感”も感じるようになりました。
【結論】幸福度が高かった買い物スタイルは?
一連の体験を通し、私の中からは
「お金があって、好きな物を好きなだけ買えたらきっと幸せに違いない…」
このような考えは消えていきました。
代わりに
「自分にとって本当に必要な物/大切な物を考えて、試行錯誤しながら、それを大切にしている生活の方が満たされる」
こういう考えが根付いていきました。
大事なのは「お金のある/なし」ではなく、本当に自分の心や身体を満たしてくれる大切なものを知っていること。
もちろんそれを得るのに、お金が必要な場合もあるけど、そうじゃない場合もある。
そういう結論に至りました。
気づかぬうちに”洗脳されていた?” 知られざるコーチングの威力
と、この結論に至った時、私はあることに気が付きました。
それは、今日お話した一連の流れについて「自分1人で考えてやった」と思っていたけど、実のところ、タナカミノルさんのコーチング音声の影響を多分に受けていたということです。
もしタナカさんが生み出すストーリーを聞いていなければ…
断捨離コミュニティに誘われても、その重要性を認識できず断っていたでしょうし、万が一入会していたとしても、部屋が1回キレイになったなったことを喜ぶだけで「習慣化して維持しよう」という発想に至らなかったと思います。
だけど、コーチング音声を通して、
✅物を捨てることや身の周りを整理することが、知らず知らずのうちに人の意思決定に及ぼす大きな影響
✅1発屋で終わらないために習慣化する重要性
これらについて無意識のうちに学んでいたので、今日お話したような一連の行動を選択できました。
“無意識”にと書いたのは、タナカミノルさんのコーチング音声は、講義スタイルではなくただストーリーを聞き流すものだからです。
「何かを必死に学んでいる感覚」や「教えられている感覚」がないまま、ただ音声を聴いているだけで、いつの間にかじわりじわりと考え方が変わり、自然と望む日々を”自分の力で”切り開いていけるマインドの使い方とその力がついていく、そんなスタイルなのです。
頑張っている感覚もないままに、自然と望む状況を作るのに大切なことを選択できる自分になってしまう…。
そんなコーチング音声の威力に改めて気づかされた体験でした。