「片付けられない自分」を逆転させた無意識の活用術

コーチング実践体験記

一年前の自分と比べて、大きく変わったと胸を張って言えること。
それは、「片付けられる自分」へと進化し続けているということ。

「どうせ、すぐ散らかる」という言い訳から、一歩脱出するきっかけになったのも、タナカミノルさんの音声コーチング内で知った意識と無意識の関連からでした。

「何のために、部屋を整えるのか?」すらも考えようとして来なかった私が、机の上に物をほぼ置かない状態を保てる「片付けられる自分」へと逆転した経緯について、お伝えします。

 

とにかく、「片付け」が不得意でした

子どもの頃は親任せだった

どうして、自分は片付けられないのか?

散らかった部屋を見て、自問自答したことは何万回もあります。
その時に出てきた理由はこれでした。

「だっていつも母さんたちが片付けてくれてたし」
「部屋が散らかってても、死ぬわけじゃないし」

事実、母や祖母が見かねて、洋服を片付けてくれていたのをいいことに、いつの間にかこう考えてもいたのです。

「自分は片付けなんてしなくても、誰かに任せればいい」

今こうして文字にすると、まぁ何と思い上がった感覚ですが、そうやって自分を正当化していたのです。

ただ、他人任せだったという習慣が「片付けられない自分」を作ってしまったのも、事実でした。

 

「あとでいいや」の雪だるま

20代前半、社会人になってからは、家には寝るためだけに帰るような生活をしていました。

平日は仕事が終わって遊びに行き、もちろん休日も外出。
「家でゆっくり過ごすなんて、ありえない」そんな感じでした。

朝も当然、仕事に間に合うギリギリ最低限の時間で起きて支度する毎日。

そうなると、出がけに物を探すことも当然増えてきます。

ここでも「やっぱり片付けよう」とならなかったのは、探し物の有りかをなんとなく覚えているという記憶力です。

「だいたい直ぐ見つかるし、あとでいいや」その後回しが雪だるまのように膨れ上がり、足の踏み場も無い部屋が自分にとっての当たり前になっていました。

モノが何も無いと落ち着かない心理

アインシュタインもスティーブ・ジョブズも、部屋が散らかっていた天才として有名です。

彼らと自分を比べるなんて大それているとは思います。ただ、彼らの気持ちを自分なりに代弁するなら、

”何か作業を始めて、それを一度止めて片付けるということが苦手”

という部分に関しては、もしかすると同じ感覚だったのではないかと思います。

洋服の専門学校に通っていた時は、学校では下校時には片付けて、掃除もしないといけないけれど、家ではそのままでいい。

だから、ミシンもハサミも机の上で常に出しっぱなし。製図の紙も定規も手に届くところ。

常に机の上も、部屋も物で溢れていました。

そうなってくると、面白いもので、散らかって無いと落ち着かないようになるのです。

たとえば、ビジネスホテルに泊まっても、ついつい狭い机の上やベッドの上にあれこれモノを並べてみたり、かばんの中身を出すだけ出してしまったり。

たまに大掃除をすると、一旦全部物を出してから、捨てるかどうかで悩むうちに、何かに気を取られて掃除が全然進まない。

本当に典型的な「片付けられない人」でした。

 

本当に「片付けられない人」はいない

ゴミがあると、ゴミが増えるという法則

いま、「片付けられない自分」から脱出して、あらためて公共の場所を見て感じるのは、ゴミがあるとゴミが増えていくという不思議な法則です。

例えば、自動販売機の横に置いてある缶やペットボトルの回収ボックス。

ボックスがいっぱいになって溢れかえると、何故か缶以外のゴミまで置いていかれた挙句、飲みかけのプラスチック容器が倒れてぐちゃぐちゃに汚れていたりしませんか?

これは、結局「ゴミが集まっている汚い場所だから、汚しても良い」という無意識の仕業だとしたらどうでしょう?

公衆トイレでも、新しく綺麗なトイレは皆汚さないけれど、何十年も経っていそうな公園のトイレは、切羽詰まっていないと使いたくないくらい、酷い状態の場合もあります。

 

自分は誰の平均値?

よく自己啓発で耳にするのは「自分の価値観は、自分がこれまで出逢った人の平均値」という考え方です。

例えば、「自分の親のこういう部分が嫌い」という人に限って、親の嫌いな部分を無意識に再現していることもありますよね。

タナカミノルさんの音声コーチング内でも、いろんな言い回しで「無意識」が私たちの行動に大きな影響を与えているということをわかりやすく説明しています。

何も考えずにしている動作のひとつひとつに、自分が過去見てきた誰かの行動や普段目にしている状態が反映されているー。

まさにそこに私が「片付けられない自分」を脱出するヒントがあったのです。

 

意志が弱いのではなく、雑音が多いという事実

タナカミノルさんの音声コーチング内でびっくりしたことは、意識と無意識の構成比率が想像以上に桁違いだったという事実です。

私たちが意識を向けて、五感で違いを区別できるのは1秒間に約20個(20bit)に対して、実際に無意識が受け取っている情報は1秒間に約1100万個(1100万bit)なんだそうです。

つまり、1秒間で私たちが意識的に認識できるのは、全体のたった1/550,000程度だということです。

これには、衝撃でした。

たった1人で張り切って「これをやります!」と言ったところで、残りの55万人が無関心なら、聞く耳すら持ってもらえない。

「片付けるぞ!」と1人が思っても、残りの55万人が「これがいつもの状態」「あとでいい」「面倒くさい」「今それどころじゃない」「お腹空いた」「眠い」といってやる気を削いだり、

「探していたTシャツ」とか「読もうと思ってそのままにしていた本」とか「昔撮った写真」という物体がうっかり目に入ることで、別のことを始めてしまったり。

これは意志が弱いのではなくて、無意識レベルで処理している雑音が多すぎたからなんじゃないか?

つまり、「片付けられない」のではなくて、「片付けに集中できない」だけなのではないか?

だったら、どうすれば片付けに集中できるようになるのだろうか?

そんなことを考えるようになりました。

 

無意識を活用して「片付けられる人」に逆転した現状

3割ルールで始めた「朝のゴミ出し」

大多数の無意識を味方につけるために、まずは無意識が仕入れる平均値をあげようと試みました。

自動販売機の例のようにモノが集まると、ゴミも溜まって散らかっていく。
だとしたら、ゴミを溜めないためにはどうすればいいのか?

その時に思い出したのが、美容家のIKKOさんが言っていた言葉でした。

「ゴミを溜めたくないから、ゴミ箱は置かないの。だからゴミはすぐ捨てる」

さすがに、ゴミ箱を置かないというのはどうだろう、と聞いた当時は思ったのですが、ゴミを直ぐ捨てるというのは習慣になるな、と思い出したのです。

そこで、朝起きてから散歩へ行くときにゴミを出す、というルーティンを付け加えることにしました。

このルーティンを始めるとき、タナカミノルさんの音声コーチング内で学んだあるルールを取り入れたのです。

それは、「3割出来ればでOK」という、かなり甘いルールです。

今まで出来ていなかったことを始めるのだから、やろうと意識することから始める。最初から100点を取ろうとしない。

これが大正解だったのです。

 

「やれば出来る」でセルフイメージを上げる

毎日出来なくても、とにかく1週間、1か月のうち3割出来ればいい。
そのくらいの気持ちでやってみる。

確かに、野球でも打率3割と言えば、得点打者レベルです。7割打てていなくても、3割で大丈夫。そのルールは、とても気楽でした。

最初のうちは、忘れてしまうことも多かったのですが、徐々に、捨てるものを前の晩にまとめたり、空のペットボトルを1本でも玄関に置くなど工夫することで、毎日ゴミを出せるようになったのです。

朝、ゴミを出す。
今日もできた。
やればできるじゃん、私。

「やればできる」という実感がどんどん積み重なっていくようになると、その分、自信をもって動くことが出来るようになりました。

 

ルールを変えたら、部屋が整い始めた

一人暮らしで時々の自炊生活だと、毎日出るゴミは限られます。
ですが、「ゴミを出す」習慣が3割出来るようになると散らかり方が変わってきます。

朝、起きて、前の日に準備したゴミを出し、部屋を軽く掃除をして出かける。

そうすると、「5分でここだけ片付けよう」という気持ちが自然と出来るようになっていったのです。

無意識レベルの平均値が「片付いている状態」に慣れていったから、それを維持したいと無意識が協力するようになったのだと感じています。

 

終わりに~「理想の空間」で毎日暮らすには~

24時間以内に全世界へ自宅公開できるメンタルになるには

目標3割達成で始めた、朝のゴミ捨てが馴染んできたころ、こんな提案が音声コーチング内でありました。

「24時間以内に全世界へ自宅を動画公開できるレベルに整える」

それを聞いたとき、「今は無理」と一度否定はしたものの、こう考え直したのです。

「部屋を全世界へ公開できる自分だったら、そのメンタルってどういう状態だろう?」

ドラマのセットのような部屋ではなく、自分の生活の一部が見えても動じないメンタル。
それが自分にとって「理想の自宅」、つまり人に見せても大丈夫な空間って、どういう状態だろう?
そんなこと、一度も考えたことなかったな。

そう思いながらも、今の間取りから、どういう配置が理想なのかを初めて考えてみました。

3年後、10年後の自分を常に思い描く

「今日もできた」を積み重ねていくだけではなく、「理想の部屋」についてイメージを持つ。

そのためには、現状や過去を振り返るよりも、「どんな自分になりたいのか?」という「自分が目指す状態」を考えるほうがより具体的な行動をしやすいということも、「片付けられる自分」に進化してみて考えるようになりました。

世界に一人のかけがえのない理想の自分は、どういうものを持っていて、どういう部屋で過ごしているか?

そう考えてみると、理想の自分へ一歩近づくために「片付ける」という行動がとても重要な行動だと感じられるようになりました。

 

無意識レベルで、他人も自分も大切に扱う人で「在る」

散らかりグセがピークだった学生時代、友人から言われた一言があります。

「物を大切に扱わないよね」

恥ずかしながら、当時の私は「そうかなぁ?」ぐらいにしか感じられなかったのですが、部屋の7割が整うようになって気づいたのは、物を手に入れたらそれで満足していた自分を見抜かれていたのだということです。

よく「釣った魚に餌をやらない」という言葉で、恋人や夫婦間でのすれ違いを表現しますが、好きで気に入っている人、物だからこそ長く大切に扱う。

それはつまり、「自分自身を大切に扱う」という感覚が無意識に出来ているかどうかなのだと、今では確信しています。

他人も自分も常に大切に扱える人。

そんな自分へ一歩でも近づくために、明日からも「部屋を整える」ことを習慣にして、無意識レベルで「片付けられる自分」でありたい。

部屋を全世界へ公開できる自分へと進化するために、ここに宣言しておきます。

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この記事を書いた人
ヤマフジ アヤ

全ての人に学ぶ歓びを伝えたい、生まれながらの勉強ヲタク。知的好奇心が高じて、国際アロマセラピストのライセンスや鉄ミネラルアドバイザー資格を取ったり、5分で四十肩を改善する神業無痛整体を体得したりしているうちに、タナカミノル氏の音声コーチングに出逢う。月に最低5冊以上の読書習慣を持つ重度の活字中毒者。毎日24時間が常に学びのアウトプットだと実感しながら過ごしている。

人生の目標は、食と体験を軸にしたフリースクールを運営すること、身体と心の発達と発育をサポートすること。

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